2011年6月3日金曜日

目が見えるということ

こんにちは。

朝、通勤時のバスで

ときどき目の見えない人と

乗り合わせる事があります。

恐らく10代後半か 20代前半の女性で

知り合いと一緒の時もあれば

一人の時もあります。

とっても活発で元気いっぱいの

印象の人で

バスを降りる時も

スイスイと運転手さんのところまで

進んで

「割引パスモでお願いします!!」

後ろから見ていると

とても目が見えていないようには

感じられないほどの

颯爽とした歩き方。

その人と会うといつも思うのが

自分がもし今

目が見えなくなったら

こんな後ろ姿でいられるのか?と。

そもそも 家から出られるのか?

慣れ親しんだ近所でも

目が見えているからこそ

歩けているのだと…

家の中でだって

火をつけたり

料理をしたり

顔さえもちゃんと洗えるのか?

洋服や靴やバッグを選べるのか?

考えるだけでも辛くなってきます。

学生のころ、ボランティアの一環で

目が見えない人の気持ちになってみようと

目をつぶって

外だったか、校内だったか

歩いた事があります。

普段は自然に避けている障害物が

多い事に気づいたり

突然触られたりして

驚いたりと

貴重な体験でした。

その立場にならないとわからない事が

本当にたくさんあります。

自分の普通は

他人の普通ではないのです。

目が見えるもそうですが

当たり前と思っている健康に

心から感謝し

不自由な思いをしている人

困っている人の

少しでも力になれるように

心がけたいと思っています。

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